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5月, 2013の投稿を表示しています

ジョルジョ・モランディ画集

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●ふと横を見ると 「ジョルジョ・モランディ ようこそ幻の展覧会へ。」 と題された画集が目に入りました。  ●表紙帯の文章 東日本震災の影響で惜しくも中止になった展覧会 「ジョルジョ・モランディとの対話」 出版予定だった展覧会カタログが、モランディの画集として生まれ変わりました。 喪としての絵画、あるいは幻の展覧会のために  岡田温司 ようこそ、幻の展覧会へ。 「それにしてもなぜこの画家は同じ壜や壺ばかりを 繰り返し描きつづけたのか」 展覧会をご覧いただいた皆さんの多くが、 おそらく最初に抱いたのが、そういう率直な 疑問ではないだろうか。(同書解説文より一部引用) ●モランディは以前2~3点の小さな作品をみたことがあります。 「なんと心地よい静物画」 という印象を抱いたのをおぼえています。 哲学的ですね! ジョルジョ・モランディ ( Giorgio Morandi ,  1890年 7月20日  -  1964年 6月18日 )は、20世紀前半に活動した イタリア の画家。20世紀イタリア美術史において最も重視される画家の一人である。さまざまな芸術運動が生まれては消えていった20世紀において、独自のスタイルを確立し、 静物画 を中心にひたすら自己の芸術を探求した画家であった。初期には 未来派 や 形而上絵画 の運動に近付いたこともあったが、生涯にわたって特定の画派や運動に深入りすることなく、独自の道を歩んだ。(WIKI) ●アトリエ:モランディ

Welcome to the jungle展

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●熱々・東南アジアの現代美術 横浜美術館です。 Araya Rasdjarmreansook Thai MelodyⅠ,ⅡandⅢ  アラヤー・ラートチャムルーンスック(タイ) タイ・メドレー 1,2,3  ‘2002  ビデオ3面 死者に「イナオ」を読む、 静謐な作品が素敵でした。 INAO タイ古典文学, 舞踊 歌唱 劇の 傑作 。 アユタヤ 朝ボーロムコート王( 在位 1733‐58)の 宮廷 でマレー人 捕虜 がジャワ 伝来 の パンジー ・スミラン(イナオ 王子 ) 物語 を語り, 姉妹 の姫がそれを 詩劇 に書いた。姉の作を〈大イナオ〉または〈 ダーラン 〉,妹の作を〈小イナオ〉と称したが, 後者 の方が 秀作 であった。《イナオ》は 戦闘 と 恋愛 の 描写 が多いイナオ王子を 中心 とする物語で, 原本 はアユタヤの 陥落 と共に 散逸 したが, ラーマ 2世 時代 (1809‐24) 王命 により全面的に書き改められた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ おとなりの T`s Museeでランチです。 鴨のコンフィ・メインです! グリーン・ピース コールド・スープ ヌガー・ガナッシュ

原美術館

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●御殿山ガーデンをぬけると 原美術館です。 環境と素敵な建築があいまって、 旧軽井沢にいるような雰囲気です! 渡辺 仁 (わたなべ じん、 1887年 2月16日  -  1973年 9月5日 )は近代日本の 建築家 。作品のスタイルは当時の建築家としては珍しく、 歴史主義様式 のほか、 表現派 、 帝冠様式 、 機能 / 合理主義様式 、初期 モダニズム と多岐にわたっている。主要作品には服部時計店、東京帝室博物館(原案)、第一生命館などがある。(WIKI) ソフィ  カル 最後のとき/最初のとき 渡辺仁 設計 1938年 カフェダール ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

燕子花図屏風  Irises Screens

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●庭園の燕子花(かきつばた)が満開ですという お知らせをうけ根津美術館にでかけました。 燕子花図屏風  尾形光琳筆  18世紀 ●それと同時開催の「仁清と乾山」をみたかったのです。 薄に鶉図  乾山筆  銹絵楼閣山水茶碗  乾山作 銹絵梅図角皿 色絵鉄仙花茶碗   野々村仁清作 tea bowl  with  clematis  desigh 古染付鯉耳花生 景徳鎮窯 明時代 鯉耳とはおもろいですね!

京都画壇と神坂雪佳展

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神坂 雪佳 (かみさか せっか、 慶応 2年 1月12日 ( 1866年 2月26日 ) -  昭和 17年( 1942年 ) 1月4日 )は、 近現代 の 日本 の 画家 であり、 図案家 。 京都 に暮らし、 明治 から昭和にかけての時期に、 絵画 と 工芸 の分野で多岐にわたる活動をした。本名は 吉隆 (よしたか)。 京都御所 警護 の 武士 ・神坂吉重の長男として、 幕末 の 京都 ・栗田口(現・ 京都市 栗田口)に生まれる。 1881年 ( 明治 14年)、16歳で 四条派 の日本画家・ 鈴木瑞彦 に師事して絵画を学び、 装飾 芸術 への関心を高めたのちの 1890年 (明治23年)には図案家・ 岸光景 に師事し、 工芸 意匠図案を学ぶ。 琳派 の研究を始めたのはこの頃であった。 1901年 (明治34年)には、 イギリス の グラスゴー で開催されたグラスゴー国際博覧会 ( Glasgow International Exhibition ) の視察を目的とし、世界各地の図案の調査を兼ねて渡欧。当時の ヨーロッパ では ジャポニスム が流行し、 日本美術 の影響を受けた アール・ヌーヴォー が花開いていた。神坂もそこで日本の優れた装飾芸術を再認識したという。 琳派に傾倒し、 デフォルメ 、 クローズアップ 、 トリミング を用いた大胆な 構図 や「たらしこみ」の 技法 など、琳派の影響を受けながらもモダンで明快な作風である。 染織 や 陶芸 ・ 漆芸 など暮らしを装う工芸品の図案も積極的に行った。 蒔絵師 の 神坂祐吉 は雪佳の実弟で、雪佳が図案した作品も多い。   1942年 (昭和17年) 1月4日 、77歳で死去した。(WIKI) ●神坂雪佳・細見美術館コレクションよりと聞けば 条件反射のごとく身体が反応します。 横浜高島屋にでかけました。 神坂雪佳:朝顔 :藤 :紫陽花 雪佳の「杜若図屏風」は初めて見ました。(個人蔵) 「百代草」の初版本と思われるものも展示されていました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私の個展で「白川散歩」とネーミングしたものです

村井譲二:個展 in 自由が丘    完了 御礼

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●たくさんのみなさまのご来場 ありがとうございました。 本日個展無事完了いたしました。 しばらくしてから静岡へ巡回予定です! ●「 浅い夢 」・・・来生たかお 2次会でうたった歌です! 個展期間中は 浅い夢を見ていたような日々でした!