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2014の投稿を表示しています

Pigment:Pigmento:顔料

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●このごろピグメント:顔料でオリジナル絵具を つくって遊んでます。 あと、炭酸カルシウム! Merry   Chiristmas  Ultramarine  Violet

雪と月と花:Snow,Moon,and Flowers  

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●日本橋の三井記念美術館です。 雪月花 をモチーフにした、 茶道具・漆器・絵画・工芸などの 名品が展開されています。 私には螺鈿細工の作品が印象的でした。 そして、数点の抱一作品にも ふれることができました。 菊谷焼十二ヶ月絵替茶碗の内)富士絵茶碗 1887 秋草に兎図襖(部分)酒井抱一筆  江戸時代 水仙図 円山応挙筆  1783 虎関師錬  墨跡(花屋号) 鎌倉~南北朝時代(部分) 虎関師錬 (こかんしれん、 弘安 元年 4月16日 ( 1278年 5月9日 ) -  興国 7年/ 貞和 2年 7月24日 ( 1346年 8月11日 ))は、 鎌倉時代 後期から 南北朝時代 にかけての 臨済宗 の 僧 。諱は師錬、字は虎関。父は藤原左金吾校尉で、母は源氏。一説に 玄恵 と兄弟とする [1] 。 京都 の出身。諡号は 本覚国師 。 (WIKI) アプローチ

Christmas  at  Sinjyuku

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●Christmas  Jorney  2014 北欧の先住民族サーミの世界へ Illustrated  by   mirokomachiko サーミ人 (サーミじん、 北部サーミ語 :Sápmi)とは、 スカンジナビア半島 北部 ラップランド 及び ロシア 北部 コラ半島 に居住する先住民族。 フィン・ウゴル 系。 サーミ語 を話すが、ほとんどが スウェーデン語 、 フィンランド語 、 ロシア語 、 ノルウェー語 なども話す バイリンガル である。ちなみにラップランドとは 辺境 の地を呼んだ蔑称。彼等自身は、サーミ、あるいはサーメと自称している。北方少数民族として、 アイヌ民族 などとの交流もある。錫を使った手工芸細工が有名である。 もともと 狩猟 ・ 遊牧 を行なう民族であるが今日、ほとんどのサーミは定住生活を営んでいる。(WIKI) ●新宿:伊勢丹です。 サーミの世界をデパート全館、 統一テーマで楽しく展開しています。 イラストが魅力的ですね!  ウインドウ 1Fフロア

Hodler:ホドラー展

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● フェルディナント・ホドラー ( Ferdinand Hodler 、 1853年 3月14日   -   1918年 5月19日 )は、 スイス の 画家 。 グスタフ・クリムト と並んで世紀末芸術の巨匠。同年代の芸術家が皆パリに出て活躍したのに対し、ホドラーは画家として認められてからは、最後までスイスで活躍し、孤高の画家と言われた。(WIKI) ●湖の連作がとても素敵です。 さわやかな空気が流れています。 あわいパープルが特に魅力的です! シェーブルから見たレマン湖  1905 白鳥のいるレマン湖とモンブラン  1918 早朝のレマン湖とモンブラン 1916 レマン湖とジュラ山脈 1908 トゥーン湖と ニーセン山 1910

Yotsuya Brewery

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●待ち合わせに、まだ45分あリます。 四谷はくわしくありませんので、とびこみではいりました。 ひとりのベルギー・ビールバー! すこし甘めの デ・コーニック これから、忘年会にむかいます! 2014・11・21 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トーベ・ヤンソン展

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● トーベ・マリカ・ヤンソン ( Tove Marika Jansson   [tuːve mariːka jɑːnsɔn] 、女性、 1914年 8月9日  -  2001年 6月27日 )は、 フィンランド の ヘルシンキ に生まれた スウェーデン系フィンランド人 の 画家 、小説家、 ファンタジー 作家、 児童文学 作家 である。(WIKI)  クルーヴハル島  模型 30年近く夏を過ごし、多くのムーミンシリーズを含む作品が生み出された バルト海 の クルーヴハル島  夏の家:再現 ●北欧の色なのでしょうか? 味わい深い油絵です! 青いヒヤシンス  1939 空襲警報が鳴る時 1940 トーロの漕艇場1940 風景 1940 窓辺の女性 1941 遊び「アウロラ小児科病院のための壁画習作」1956 ムーミンパパ海へゆく 挿絵  1965

ジョルジョ・デ・コリコ展:Giorgio de Chirico 変遷と回帰

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●シュルレアリストに賞賛されながら、突如スタイルを変え、その後再び自身の原点へ。  生気あふれるデ・キリコの創作の足どりを、未亡人の旧蔵品を中心に約100点の作品でたどる。 20世紀を代表する画家ジョルジョ・デ・キリコ(1888­–1978)。イタリア人の両親のもとギリシャで生まれたデ・キリコは、青年期をミュンヘンで過ごした後、パリで画家としてデビューします。彫像や建築物の影が伸びる人気の無い広場、そこに配されるマネキンや玩具。「形而上絵画」と称されるこうしたデ・キリコ独自の世界が描かれた作品は、目に見える日常の裏側に潜む神秘や謎を表現しようとしたもので、後のシュルレアリストたちに大きな影響を与えました。第一次世界大戦以後は、古典主義絵画への関心からその様式を大きく変え、伝統的な技法と題材で制作を続けます。しかし晩年は、再び形而上絵画に回帰し、絶えることのない創作意欲で、新たな形而上的主題に取り組むのです。 本展は、パリ市立近代美術館に寄贈された未亡人イザベッラの旧蔵品を中心に、イタリアの美術館や個人のほか、日本国内の所蔵作品から、画家の各時代の代表作約100点を紹介します。謎めいた憂愁が漂い、神秘的で詩的な雰囲気を持つ彼の作品の魅力に触れていただくことはもちろん、生気に満ちた70年もの彼の画業を通観する貴重な機会となっております。 (HP)  田園風景のなかの静物  黒い宝 ノートルダム 1962 ●「私の絵画を理解する人は、まだ2~3人しかいない!」 会場映像でのキリコの言葉です。 デペイズマン  (dépaysement) とは、 シュルレアリスム の手法の1つ。この言葉は、もともとは「異郷の地に送ること」というような意味であるが、意外な組み合わせをおこなうことによって、受け手を驚かせ、途方にくれさせるというものである。 文学 や 絵画 で用いられる。(WIKI) デペイズマンには聞き覚えがあります! www.depaysement267.com  不安を与えるミューズたち 1974  太陽の寺院 1971  噴水と邸宅の風景のある形而上的室内 1955  ビスケットのある形而上的室内 1968 オデッセウスの帰還

ウィレム・デ・クーニング展:Willem de Kooning

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●ブリジストン美術館です。 ●デ・クーニングは、 ジャクソン・ポロック と並ぶ「 アクション・ペインティング 」の代表的作家であり、抽象表現主義の創始者の一人として、20世紀美術史の上に重要な位置を占める。 ウィレム・デ・クーニング ( Willem de Kooning ,  1904年 4月24日  -  1997年 3月19日 )は、 20世紀 の オランダ 出身の 画家 。主に アメリカ で活動した。 抽象表現主義 の画家で、具象とも抽象ともつかない表現と激しい筆触が特色である。 1904年、オランダの ロッテルダム に生まれた。青年期は商業美術の会社で働くかたわら、ロッテルダム美術工業学校の夜学で学んだ。オランダ時代には モンドリアン らの「 デ・ステイル 」運動に接している。 1926年 渡米。以後、アメリカで活動する。1927年頃、 アルメニア から来た画家、 アーシル・ゴーキー と知り合い、影響を受けた。デ・クーニングは、1930年代半ばまでは、商業美術の仕事で生計を立てていた。また、 ポロック 、 マーク・ロスコ ら他の抽象画家たちとともに、WPA( 公共事業促進局 )の 連邦美術計画 の仕事にも携わった。連邦美術計画とは、 ニュー・ディール政策 の一環として、画家たちに公共建築の壁画の制作等を委嘱したものである。 1948年 、ニューヨークのイーガン画廊で初の個展を開催して、ノースカロライナの ブラック・マウンテン・カレッジ ( 英語版 ) で教えた。 デ・クーニングは、1940年代頃からは人物表現に関心を寄せ始める。1950年代初期から始まった「女」のシリーズがよく知られている。ポロックの「ドリッピング」(絵具をしたたらせる)絵画とは異なり、デ・クーニングの描く「女」はキャンバスに筆で描いたものであるが、感情のおもむくままに筆を走らせたように見える画面は、ほとんど抽象に近付いている。その後、画面から具体的なイメージを排した抽象的な作品を描いていた時期もあるが、1960年代後半から再び「女」のテーマに取り組んでいる。(WIKI) ●全体テーマが「Woman」です。 人物画から派生した抽象とは、いままで思ってもいませんでした。 多くの作品が紙にoilです。 キャ