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8月, 2015の投稿を表示しています

エリック・サティとその時代:Erik Satie et son temps

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●エリック・サティ(1866~1925)の交友関係をつうじて、 サティをフォーカスする企画展示。 マン・レイ作品 (HP) サティは「 音楽界の異端児 」「 音楽界の変わり者 」と称され、 西洋音に大きな影響を与えたと見なされており、 ドビュッシー 、 ラヴェル も「その多くの作曲技法はサティによって決定づけられたものだ」と公言している。そして、 印象主義 の作曲家たちにも影響を与えたとされる。 パリ音楽院在学中にピアノ小品『 オジーヴ 』『 ジムノペディ 』『 グノシエンヌ 』などを発表。カフェ・コンセール『黒猫』に集う芸術家の1人となり、 コクトー や ピカソ と交流 [1] 。 バレエ・リュス のために『 パラード 』を作曲。またカフェ・コンセールのためのいくつかの声楽曲を書く。今日よく知られている『 ジュ・トゥ・ヴー 』はこの時の曲。 薔薇十字教団 と関係し、いくつかの小品を書く。同一音形を繰り返す手法を用いた『 ヴェクサシオン 』『 家具の音楽 』なども書いた。(WIKI) マン・レイ エリック・サティの梨  1968  ピカビア 「本日休演」の楽譜の口絵 1926 アレクサンドル・ スランタン エリック・サティ音楽祭のポスター  1926 ●ピアノ曲集も聞きますが、 私のサティは、 [鬼火]の映画音楽につきます。 モーリス・ロネのファンなので、 3度はみました。 この映画のテーマも 自殺をまえにした 最後の交友関係確認 であったように思います。 ●「鬼火」1963のサティ 「死刑台のエレベーター」1958のマイルス・デイヴィス 映画音楽・モノクロ映像 ルイ・マル監督と、 その時代 とてもおしゃれでしたね! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ cafe Les  deux  magots SHIBUYA

来年の事を言うと鬼が笑う:When he'll say next year, a demon laughs.

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●旅のもう一つの目的は、 来年おこなう個展の ロケハン(下見)でした。 来年の事を言うと鬼が笑う といいますが かなり笑われているような気がします。 めげずにアップしておきます。 いちおう、巻き尺を手に 天上の高さなどはかってきました。 こちらのギャラリーは、 知人のおすすめです。 Thank Younao! 会期:2016・4・29~5・03まで 兵庫県芦屋市船戸町2-1-121 ラポルテ西館1F 会場:ギャラリー篝火 KAGARIBI JR芦屋北出口~徒歩2分 三井住友銀行右折 むかえに禁煙珈琲店 となりにインディアンカレー ランチは竹園ホテルで! いつもの[カニコロッケ]を注文しますと、 今日は土曜なのでありません。 土日のランチ・メニューにはないんです! それで [むかしながらの・スパゲッテイ] をたのみました。

曼殊院:mansyuin

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●曼殊院(まんしゅ いん)は 京都市 左京区 一乗寺にある 天台宗 の 仏教 寺院 である。 山号 はなし。本尊は 阿弥陀如来 、開基(創立者)は是算(ぜさん)である。竹内門跡とも呼ばれる 門跡 寺院( 皇族 ・ 貴族 の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、 青蓮院 、 三千院 (梶井門跡)、 妙法院 、 毘沙門堂 門跡 と並び、天台五門跡の1つに数えられる。 国宝 の 黄不動 画像や 曼殊院本古今和歌集 をはじめ、 多くの 文化財 を有する。(WIKI) ●修学院に 曼殊院まで徒歩20分の サインがありましたので猛暑の中、歩き出しました。 この石段が見えるまでずっと上り坂でした。 暑さのピークでしたがなんとかたどりつきました。  枯山水 ●曼殊院の出口まできて、茶室を見ていないことにきずき 引き返しました。 案内の方に誘導されて、ふたたび室内に入りました。 この茶室の位置が不思議でした。 黒い壁はイカスミを混ぜて塗りこめていること、 季節ごとに 窓の障子に映り込む影の色調が変化することなど、 をうかがいました。 (いまは薄緑でしたが秋には紅葉色に) 重要文化財の茶室に座る、 貴重な体験をしました。 茶室:八窓軒 小書院の北側に隣接して建つ 茶室 。大書院・小書院と同時期の建築と考えられる。平三畳台目、中柱、下座床の席。小堀遠州風の意匠が随所に見られる。東側の壁の連子窓の上に下地窓を重ねる手法は珍しく、遠州好みとされている。天井は東側(躙口側)を化粧屋根裏、西側(床の間側)を平天井とする。この平天井が点前畳の上まで続き、点前座を落ち天井としないのは古い手法である。躙口上の連子窓は虹のような影が生じることから「虹の窓」と呼ばれて名高い。(WIKI)

修学院離宮:Syugakuin Rikyu 2015・08・07

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●修学院離宮 (しゅがくいんりきゅう)は 京都市 左京区 修学院 の 比叡山 麓にある皇室関連施設。 17世紀 中頃( 1653年 ( 承応 2年) -  1655年 (承応4年))に 後水尾上皇 の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇や上皇の別邸)である。谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなる。 桂離宮 ・ 仙洞御所 とならび、王朝文化の 美意識 の到達点を示すものとなっている。 宮内庁 京都事務所が管理している。 敷地は上・中・下の御茶屋のほか、周囲の山林や水田も含 敷地は上・中・下の御茶屋のほか、周囲の山林や水田も含めて54万5千平方メートルに及ぶ。上・中・下の御茶屋の間に広がる、実際に耕作されている水田をも風景に取り入れている。この水田は昭和39年(1964年)に宮内庁が買い上げ、地元農家と契約を結んで耕作させている。上・中・下の御茶屋の間を結ぶ松並木の道は、もとはあぜ道であったが、明治18年(1885年)の中御茶屋併合後、明治天皇の行幸に備えて拡幅整備し、松を植栽したものである。(WIKI) ●運よく修学院離宮も連日で予約が取れました。 猛暑の中、拝観しました。 ● 下離宮 御幸門 花菱紋透かし彫り    寿月観 ● 中離宮 楽只軒・客殿 網干の欄干 ● 上離宮  浴龍池 扁額  後水尾上皇  宸筆 窮邃亭(きゅうすいてい) 隣雲亭(土間) ●季節ごとにめぐる風景は、それぞれ素敵にちがいありません。 春・秋にもおとづれてみたいものです。

和久傅:wakuden

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●友人のおすすめもあり、 ホテルとなりの伊勢丹にある 和久傅にでかけました。  鱧  鰊  鯛の黒寿司  見晴らしの良い11Fカウンター席で、 くれなづむ景色とともに 味わい深い京料理を 楽しむことができした。