エリック・サティとその時代:Erik Satie et son temps
●エリック・サティ(1866~1925)の交友関係をつうじて、 サティをフォーカスする企画展示。 マン・レイ作品 (HP) サティは「 音楽界の異端児 」「 音楽界の変わり者 」と称され、 西洋音に大きな影響を与えたと見なされており、 ドビュッシー 、 ラヴェル も「その多くの作曲技法はサティによって決定づけられたものだ」と公言している。そして、 印象主義 の作曲家たちにも影響を与えたとされる。 パリ音楽院在学中にピアノ小品『 オジーヴ 』『 ジムノペディ 』『 グノシエンヌ 』などを発表。カフェ・コンセール『黒猫』に集う芸術家の1人となり、 コクトー や ピカソ と交流 [1] 。 バレエ・リュス のために『 パラード 』を作曲。またカフェ・コンセールのためのいくつかの声楽曲を書く。今日よく知られている『 ジュ・トゥ・ヴー 』はこの時の曲。 薔薇十字教団 と関係し、いくつかの小品を書く。同一音形を繰り返す手法を用いた『 ヴェクサシオン 』『 家具の音楽 』なども書いた。(WIKI) マン・レイ エリック・サティの梨 1968 ピカビア 「本日休演」の楽譜の口絵 1926 アレクサンドル・ スランタン エリック・サティ音楽祭のポスター 1926 ●ピアノ曲集も聞きますが、 私のサティは、 [鬼火]の映画音楽につきます。 モーリス・ロネのファンなので、 3度はみました。 この映画のテーマも 自殺をまえにした 最後の交友関係確認 であったように思います。 ●「鬼火」1963のサティ 「死刑台のエレベーター」1958のマイルス・デイヴィス 映画音楽・モノクロ映像 ルイ・マル監督と、 その時代 とてもおしゃれでしたね! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ cafe Les deux magots SHIBUYA