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10月, 2013の投稿を表示しています

Nicolai Bergmann :2013     

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●久しぶりの 大西海メンバー 集合でした。 青山の人気店ニコライ・バーグマンです。 たのしい時間を過ごすことができました。

知られざるミュシャ展

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● アール・ヌーヴォーを代表する画家、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)。ミュシャは、オーストリア帝国の支配下にあった南モラヴィア地方(現、チェコ共和国)のイヴァンチッツェに生まれました。  1894年に手掛けたサラ・ベルナール主演の演劇のポスター《ジスモンダ》で一躍脚光を浴び、一気にスターダムにのしあがると、その後も、花や宝石に飾られた美しい女性をモティーフとする装飾性豊かなポスターに代表される数々のグラフィック作品を生み出し、アールヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものとします。そして1910年、故国モラヴィアに帰郷後は、1918年のチェコスロバキア共和国の成立時にほとんど無償で紙幣、切手、国章などをデザインするなど、祖国への思いを描き続けました。  本展では、日本初公開となるチェコのチマル・コレクションを中心に約160点の作品を紹介します。(HP) ●はじめて見た作品が多かったです。 特に、雑誌の表紙などの小品が魅力的でした。 コレクターの愛情が伝わってくる内容でした。 チェコ周遊旅行  1898 ラ・プリュム誌  ル・モワ・リテレーヌ・エ・ピトレスク誌  イリュストラシオン誌 クリスマス1896~1897 ウエイヴァリー自転車 1898  サロン・デ・サン アルフォンス・ミュシャ展 リトグラフ・ポスター 1897 ●アール・ヌーヴォー フランス パリ では 1895年に サミュエル・ビング がアール・ヌーヴォーの画廊を開き、1900年には パリ万国博覧会 が催され、地下鉄駅出入口やカステル・ベランジェで知られる エクトール・ギマール のほか、 ガラス工芸 家の ルネ・ラリック (ラリックの活動期間は長く、 アール・デコ の時代に及ぶ)、建築家 ユジェーヌ・ガイヤール 、金物師 エドガー・ウィリアム・ブラント (兵器開発者でもあった)、画家 ポール・ベルトン 、 アルフォンス・ミュシャ 、 ウジェーヌ・グラッセ などの重要人物たちの活動の場となった。 しかしながら、最もまとまったグループを形成したのは ナンシー 派であり、ガラス工芸家の ドーム兄弟 、 エミール・ガレ 、 ジャック・グリューバー 、家具師

カイユボット展  Gustave Caillebotte

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●Impressionist  in  Modern  Paris 都市の印象派、日本初の回顧展 ギュスターヴ・カイユボット(1848–1894)はモネやルノワールとともに印象派を代表する画家で、1876年の第2回印象派展以降、5回にわたって印象派展に参加しました。その存在は、仲間の作品を購入することによって、経済的に彼らを支えたほか、印象派展の開催の継続などでも、仲間の意見調整や経済支援などをおこなった人物として知られています。しかし近年では、印象派の画家としての活動に関心が集まり、作品の再評価が進んでいます。すなわち、ドガと同様に、近代都市パリの新しい風俗や都市風景を光り溢れる繊細な筆致で描いた作品に関心が高まっているのです。本展は、印象派を中心とするコレクションを美術館の中核にすえるブリヂストン美術館が、開館以来半世紀を経て、印象派の代表的な画家であるギュスターヴ・カイユボットを日本において初めて紹介しようとするものです。また、弟マルシャル・カイユボットの撮影による貴重な写真作品もあわせて展観します。(HP) ●時代の雰囲気が伝わってきます。 日本では江戸の終わりから明治が始まったころです。 マルシャルの写真も素敵です。 <イェール川のペリソワール>1877年 <キンレンカ >1892年 <見下ろした大通り>1880年 オーベール通りとスクリブ通りの交差点 2011年には、カイユボットの絵画と弟マルシャルの写真を並べて展示する展覧会がパリのジャックマール=アンドレ美術館で開催され、両者の影響関係がクローズアップされました。今回の展覧会でも、カイユボットの絵画に加え、マルシャルの写真が多数展示されています。テーマや構図に独特の現代性をもつカイユボットの作品の魅力を、絵画と写真という観点から探っていくこともできるでしょう。(HP) <ギュスターヴと犬のベルジェール、カルーゼル広場> 1892年2月

印象派を越えて・点描の画家たち

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●もう一つは ゴッホ、スーラからモンドリアンまで クレラー=ミューラー美術館所蔵作品を中心に です。 Divisionism  from  Van Gogh and  Seurat  to Mondrian 19世紀末から20世紀前半のヨーロッパ絵画において色彩は、外界の事物を再現するという役割から次第に解放され、ひとつの表現として自立していきます。色彩の独立は、印象派の筆触分割に、その萌芽を見出すことができます。新印象派の代表的な画家であるスーラは、印象派の感覚的な筆触分割には飽きたらず、科学的な知識をもとに独自の点描技法を開拓しました。色彩を純色の小さな点に分解して描く分割主義は、フランスを超えてヨーロッパ各地に瞬く間に広がります。そして、シニャックによる理論化にも後押しされて、抽象絵画の創設にも大きく貢献しました。オランダからパリに出たファン・ゴッホは、新印象派の技法に大きな着想を得て色彩を探求し、やはり点描を通過したモンドリアンは後年、三原色に分割された宇宙的な調和に満ちた抽象絵画へと到達したのです。 本展は、ファン・ゴッホの優れたコレクションで知られるオランダのクレラー=ミュラー美術館の特別協力のもと、スーラ、ファン・ゴッホ、モンドリアンを中心にした、フランス、オランダ、ベルギーの画家たちによる色彩の探求を検証するものです。国内の所蔵機関の協力も得て一堂に展示される、油彩画、水彩画、素描、約90点にも及ぶ珠玉の作品を通じ、絵画の真髄ともいえる色彩の輝きを新たな目で捉えなおします。(HP) スーラ<ポール=アン=ペッサンの日曜日>1888 ゴッホ<種をまく人>1888 ゴッホ<じゃがいものある静物> ゴッホ<若い女の肖像> ゴッホ<ルビーヌ・デュ・ロワ運河の洗濯場> ヨハン・トルン・プリッカー<レ・ゾー> 1868-1932 パステル モンドリアン<色彩のコンポジションB> ●分割主義の流れがよくわかる展開でした。 ゴッホは点描~線描なのでしょうか?

American Pop Art  

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●国立新美術館です。 2つの企画展を見てきました。 アメリカン・ポップ・アート展 From the John and KImiko Powers  Collection 60代アートはなつかしく新鮮でした! 1962  warhol   toy  series  1984 rosenquist  LANAI  1964 rauschenberg  passport  1967

京都 KYOTO    洛中洛外図と障壁画の美

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●上野  平成館 ●7つの洛中洛外図屏風が展示されています。 舟木本・勝興寺本・池田本・上杉本 歴博甲本・歴博乙本・福岡市博本  五条大橋(部分) 舟木本 岩佐又兵衛 筆 ● 岩佐 又兵衛 (いわさ またべえ、   天正 6年( 1578年 ) -   慶安 3年 6月22日 ( 1650年 7月20日 ))は、 江戸時代 初期の絵師。又兵衛は通称で、 諱 は勝以(かつもち)。通称「吃の又平(どものまたへい)」 摂津国 河辺郡 伊丹(現在の 兵庫県 伊丹市 伊丹)の 有岡城 主 荒木村重 の子として生まれる 。誕生の翌年・天正7年( 1579年 )、村重は 織田信長 の家臣であったが、信長に反逆を企て、失敗する( 有岡城の戦い )。落城に際して荒木一族はそのほとんどが斬殺されるが、数え年2歳の又兵衛は乳母に救い出され、 石山本願寺 に保護される 。 成人した又兵衛は母方の岩佐姓を名乗り [1] [5] 、信長の息子 織田信雄 に 近習小姓役 として仕えたという [1] 。文芸や画業などの諸芸をもって主君に仕える 御伽衆 のような存在だったと考えられる。信雄が改易後、浪人となった又兵衛は勝以を名乗り、京都で絵師として活動を始めたようである [6] 。 大坂の陣 の直後の40歳のころ、 福井藩 主 松平忠直 に招かれて、あるいは後に岩佐家の 菩提寺 になる 興宗寺 第十世心願との出会いがきっかけで、北庄(現 福井市 )に移住する。忠直配流後、 松平忠昌 の代になっても同地に留まり、20余年をこの地ですごす。 寛永 14年( 1637年 )2代将軍 徳川秀忠 の招き、あるいは大奥で地位のあった同族の荒木局の斡旋で、3代将軍 徳川家光 の娘 千代姫 が 尾張徳川家 に嫁ぐ際の婚礼調度制作を命じられ、江戸に移り住む。20年余り江戸で活躍した後、波乱に満ちた生涯を終える。家は福井に残した長男 岩佐勝重 が継いだ。また、 長谷川等伯 の養子になった 長谷川等哲 も又兵衛の子といわれる [1] 。(WIKI) 『 傾城反魂香 』(けいせい はんごんこう)は 歌舞伎 ・ 人形浄瑠璃 の演目。三段構成のうち、現在は上の段の「土佐将監閑居の場」、通称「 吃又 」(どもまた)